趣味と、想像する努力について

ここ2年くらい、英会話を習っています。
週1回1時間足らずのペースでは大してうまくなるはずもなく、予習ゼロで臨んで先生に呆れられることもあるのですが、下手の横好き的に続けています。
仕事で英語を使うことは滅多にないので、完全に趣味です。
たどたどしいながらも英語で話したり、テキストを読んだりしていると、脳味噌の普段とは違う部分を使っているようで、適度な気分転換になります。

もともと語学の勉強は結構好きでして、大学の時は第2外国語のフランス語のほか、第3外国語を選択すれば数学の難しいのをやらなくてよいというので、中国語を履修していました。
違う言語にふれると、なんだかその文化圏の人達の気持ち、考え方に少し近づけたような気がして楽しいです。

仕事で、ハングルやタイ語やタガログ語しか話せません、というご相談者やご依頼者と出会うと、自分もその言語が話せたらもっと心が通じるのになぁ、勉強しとけばよかったなぁともどかしい気持ちになります。
大抵の場合、通訳さんや日本語のできるお友達と一緒に来て下さるので大丈夫ではあるのですが。

語学に限らず、自分なりの趣味をいくつか持っておくのは、弁護士という仕事にとってもいいことのように思います。
料理も、スポーツも、音楽も、読書も、その活動を通して見える世界があって、そうして色々な角度から見える景色を知っておくことは、他人の気持ちを想像する時に役に立つような気がするからです。

他人の気持ちが「分かる」というのは、どうもおこがましくて、大抵の場合は勘違いで、そう簡単にできることではないように思います。
むしろ、たやすく「あなたの気持ちは分かります」などと言う人のことは信用できないとさえ思います。
が、私達が日々うまく暮らしていくためには、そして特に弁護士の仕事をするにあたっては、相手の気持ちを想像しようとする努力が欠かせないように思うのです。
依頼者の気持ちを想像する努力があって初めて、たとえば離婚したことはなくても離婚事件を担当し、子どもがいなくても子どもの事件を適切に担当することができるのだと思います。
それは、敵対している相手方についてであってもそうで、いかに理不尽なことを言われても、この人はどういう理由で、どういう背景があってこういう主張をしているのだろうか、と考え、相手の立場に身を置いて想像してみることが大事なのではないかと思っています。

刑事弁護について、悪い人のことをどうして守る気になるのか、と聞かれることがあります。
しかし、やったことが法的に許されるかとは別に、その人にはその人なりの、その行為に出た理由があり、背景があるのです。
それは、性格のゆがみだったり、考え方の癖のようなものだったりすることもあり、そうなったことがその人だけのせいとは言えない場合も多いです。
国家権力がその人を非難し、処罰に向けて進んでいこうとするときに、違う角度から事件に光を当てる役回りは、間違いなく必要だと思っています。

昔弁護士としての就職活動をしていたときに、大学時代の友人に推薦文を書いてもらったことがあったのですが、「多様性を受け入れる素地がある」というようなことを書いてもらって、わりと嬉しかったのを覚えています。
皆が同じ方向を向いて、同じ景色しか見ていない社会というのは、どうにも気色が悪いです。
金子みすずではないですが、「みんなちがって」いることを前提に、想像する努力を忘れないようにしたいと思う今日この頃でした。
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