生まれも育ちも会津です

笠井です。久しぶりのブログ記事です。

このたびの、熊本を・大分を中心とした地震により、被害にあわれている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
報道に触れて、衝撃を受けるばかりですが、被害にあわれた皆様が、少しでも早く日常を取り戻されることを願っています。

私は以前にも書きましたが、福島県会津地方で生まれ、育ちました。
今でこそ、会津若松市に吸収合併されてしまいましたが、河沼郡河東町、という、人口1万人ほどの小さな町の出身で、両親も会津の出身なので、生粋の会津っ子です。
(会津若松の出身です、とお話しすることも多いのですが、本当は違います。)
会津若松市内にある県立高校を卒業後は、地元を離れてしまいましたが、今も実家があり、両親が暮らしています。

平成23年3月11日
東日本大震災が発生した日、私はまだ弁護士ではなく、司法修習生でした。
横浜の検察庁での修習中でしたが、たまたま3月11日は「自由研究日」という名のお休みの日で、自宅から徒歩20分ほどの場所にある出身大学院の図書館で、同期の修習生と勉強をしていました。
あの日発生した揺れは、私が経験したことのないもので、椅子に座っていられずに立ち上がったものの、立ったままでいることができずに、しゃがみこんでしまいました。

私は地元会津を離れてからは主に神奈川県内で生活してきましたが、関東の地震の多さにとにかく驚いていました。
私が生まれ育った土地は本当に地震の少ないところだったからです。
なので、まさか東北地方でそれ以上の揺れが観測されたなどとは、思いもよりませんでした。
周囲の学生の携帯電話のワンセグ放送で、どうやら東北が大変なことになっている、ということを知り、非常に不安になったことを、覚えています。
実家には、両親と妹がいたのですが、とにかく連絡が取れなくなってしまって、さらに不安を覚えました。
会津地方の被害は大きいものではなかったかもしれませんが(実際、私がいたところと実家の震度は同じくらいでした。)、原発の事故後は放射線量は通常の倍程度になりました。
まだまだ寒い時期なのに、灯油が不足する、ということがありました。
実家近くでは、今も、避難してこられた方が仮設住宅で生活なさっています。

私は福島の中でも会津地方の出身で、しかもその土地を離れて暮らしている、ということは前述のとおりです。
あの震災から、私は自分がどういう立ち位置にいるのかということを、やたらと考えるようになったと思います。
そして、うまく説明できませんが、自分がとても中途半端な存在であると感じていました(今でもそれは変わりません。)。
ただ、中途半端ではあるけれど、生まれも育ちも会津です、会津は私の大切な故郷です、ということは間違いないんだな、と思っています。

今回の地震の情報を目にし、当時の感情が少しだけよみがえってきました。
直接被害にあわれた方も、故郷が被害を受けている方も、被災地の周囲の方も、離れた場所にいる方も、それぞれの立場で、苦しい思いをしている方は多いと思います。
直接被害にあわれた方が、いちばん大変ではあるけれど、それぞれが、なんとか乗り越えていけますように。
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