北アルプス 双六岳

2012年8月12日 北アルプス 双六岳2670メートル に登頂しました。
穂高連峰の裏にある新穂高温泉から入山し、鏡平の山小屋に宿泊しました。近くに鏡池があり、夕日に輝く槍ヶ岳3180メートルが、湖水に逆さまに映って、感動しました。
翌日は、笠ヶ岳2897メートルに登る予定でしたが、雷の予報があったため、急遽双六岳に変更し、猛暑の中、約4時間かけて登頂しました。槍ヶ岳、穂高岳をはじめ北アルプスの名峰が眼前に広がり、暑さを忘れるほどの景観でした。帰路はお花畑の中を通り、多様な高山植物の群落をみていると、どこから飛んできたのか小さな蝶が花に留まっていました。ほとんどの季節を雪と氷に覆われる高山での、ひとときの命の饗宴でした。

2012年9月16日 山形県 日本百名山 鳥海山2236メートルに登頂しました。
羽越本線とバスで山麓まで入り、矢島口から入山しました。日本海から立ち上がる壮麗な山容とはうらはらに、全山頑丈な岩山で、くさり場、はしごも多く、普段の不規則な生活でなまっていた体が、悲鳴を挙げました。その上、晴天で猛暑のため、携帯していた2リットルの水を飲みきり、下山途中から熱中症状態となり、ふらふらになりながら何とか下山しました。昼頃に山頂からみた青々とした日本海と、下山してからみた夕日に輝く日本海に、感動しました。翌日は、出羽三山の一つ羽黒山に登り、名刹羽黒山神社に参詣しました。表参道の2500段の石段を歩き、国宝の五重塔にも詣でました。この石段では、毎年マラソンが行われ、老若男女が駆け上るそうでが、私も参加したい・・とは夢にも思いませんでした。

2012年9月13日 岩手県沿岸の津波被災地を巡ってきました。
 釜石港は、壊れた建物にベニヤ板が張ってある程度で、大きな被害は残っていませんでしたが、1メートル以上ある分厚いコンクリートの岸壁が大きく裂けていて、津波の力の巨大さを目の当たりにしました。大船渡港は、リアス式海岸の内奥にあり、入ってきた津波が盛り上がったところです。壊れた建物は解体されて、整地されていましたが、再建は始まったばかりで、未だ不通となっている三陸鉄道のさびたレールが哀れでした。
 ひどかったのは、陸前高田市でした。文字通り白砂青松の海岸が広がっていた千本松原は、あの「奇跡の一本松」をのぞいて、全て津波により根こそぎ倒され、沿岸の建物に襲いかかったのです。その倒木の残骸がうずたかく積み上げられて山になっていました。
 海岸近くには、ところどころに沼のように津波の海水が残っていて、破壊された建物がそのまま手つかずで、廃墟となっていました。そのうちの市立体育館は、多数の避難者が犠牲になったところですが、体育館内にがれきがそのまま残り、さびた軽自動車が逆さまに転がっていました。祭壇が作られていて、線香を上げてきましたが、その脇には多くの犠牲者を出した消防団員のヘルメットが一つ置いてありました。壊れた交番の周りに多数の警察官がいましたが、翌日の新聞に、3名の警察官が犠牲になった交番が再建されることになって、署長以下60名が参加してお別れ会が開かれた、との記事がありました。


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