最近、子供に付き合ってオセロをするようになりました。
どこの家庭にもありそうな定番のゲームですが、昔から私の家にもありました。自分が子供の時には、とりあえず空いているマスに石を打ち込み、気づくと四隅を取るか取られるかして勝敗が決まっていて、奥は深そうだけどいまいちコツが分かりませんでした。
しかし、今はネットで色々な情報が手に入る時代。そして子供時代に比べ、情報収集能力も(多少は)つきました。子供相手に卑怯とは薄々感じつつも、夜な夜なこっそりとオセロのコツについて調べてみました。
初心者向けのアドバイスとしては、「序盤は自分の石を増やすな」「四隅に近いマスには軽々しく打つな」ということでした。特に、「序盤に石を増やすな」というアドバイスは新鮮でした。盤上に常に自分の石が多い方が気持ちが落ち着くので、昔はとにかくできるだけ多くの石をひっくり返せる場所に石を打っていました。しかし、このアドバイスに従い、序盤は自分の石をできるだけ増やさないように進めてみると、驚くような展開になるのです。
石が盤上の半分以上を埋める段階で、自分の石は大体全体の5パーセントくらいです。数の上では完全に敗色濃厚、まさに四面楚歌。しかし、ここからの展開が非常に鮮やかなのです。
石を増やしすぎた相手は、終盤に置く場所がなくなり、結果的に一番取られたくない四隅に私が置けるようアシストするような場所に打たざるを得なくなります。結果、四隅を取ることを起点に、これまで相手の色で埋め尽くされていた盤上がみるみる私の石の色に変わっていくのです。
オセロの勝敗を決めるのは「確定石」、つまり四隅など相手が絶対にひっくり返すことのできない石をいかに多く増やせるか、なのです。確定石ではない石は、いくら終盤まで自分の色でも、最後の数手であっという間に相手の石に変わってしまいます。まるで家来全員に裏切られた将軍のような気分です。
オセロという、一見単純ですが奥が深いこのゲームから、大切な教訓を得た気がしました。
人の生き方も、仕事も、いかに「確定石」を増やしていくか、ということが重要なのだと思います。昨日と今日で言っていることや価値観を変えてしまうのではなく、常に揺るがない基礎に着々と物事を積み重ねていくこと、また、中盤や終盤までは不利に見える展開でも、じっと耐えて最後の逆転を見据え、実際に逆転勝利を得ることを、実践し続けていきたいと思います。
と言いつつ、このコツを子供にも伝授してしまい、最近本気でも勝てなくなってきているのが気になりますが…。
最近、弁護士としてというよりも、一人の父親として、子供の教育についてだれが一番の責任を負っているのか、ということを考えています。
きっかけの一つとなったのが、現在議論がなされている、多様な教育機会確保法(仮称)という法案です。どのような法律にするかを決める上で、だれが子供の教育の第一責任者であると考えるのかが重要になってくるのです。
まだ正式に国会に提出されているわけではないのですが、おおまかに言いますと、様々な理由で不登校になってしまっている子供たちに、学校に行かなくても義務教育を終えたことを認定できる制度を作れないか、というのがこの法案の骨格のようです。
今は法案から削除されましたが、当初は、親が家庭学習の学習計画を作り、その計画について国の許認可を受ければ、その計画どおりに学習した子は義務教育を修了したと認められるようにするという案もありました。
もし本当にこのような法律ができたとすれば、子供の教育は国が許認可をした方法で行わなければいけないことになります。裏を返せば、子供の教育については親よりも国に第一の責任があるという考えになります。
法律家らしく法律を見てみますと、日本国憲法には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」と書いてあります。
また、教育基本法には「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と書かれています。
こうしてみると、子供の教育については、国ではなく父母などの保護者が第一責任者であるといえそうです(虐待などの例外的なケースはもちろん除かれるでしょう)。
ここから先は完全に個人的な意見ですが、私は、子供の教育について一番の責任を負っているのは国でも学校の先生でもなく、両親をはじめとする保護者だと思います。
様々な事情で親の保護を受けられない子供もいますが、そういう事情がなければ、子供は自立するまで親の保護を必要とします。
親に頼らなければ生きていくことができないということは、それだけ親の影響力が大きいということにもなります。子供に大きな影響力を与えられる立場にあるということが、逆に親の第一義的な責任の根拠になるのではないかと思います。
また、子供の親以上に、命をかけてでも子供を守り、子供のために犠牲を払える人はいないでしょう。
子供のことを誰よりも頑張って理解しようとするのも、やはりその子の親なのではないかと思います。
その意味でも、教育の第一責任者としてもっともふさわしいのは親になるのではないでしょうか。
少し話が逸れますが、私が愛読している聖書に、こんな言葉があります。
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。…父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」
子供にとって、両親に従順であろうとすることは、将来社会で活躍するための最良のトレーニングなのではないかと思います。両親に従順である子は(もちろん、両親の教えが正しいことが前提ですが)、どこに出したとしても、そこで従うべき人に従う貴重な人材になるのだと思います。
両親にとっても、子供を親の自己実現の道具にするのではなく、子供の人格を養い育てることを目標にした教育ができれば、素晴らしい子育てができ、結果的に良い親子関係が築けるのではないかと思います。
そんなことを考えながら、日々子育てに奮闘しております。