退所のあいさつ~あるいは、リュックを背負うべきか否か~

皆様に支えられ、入所から4年の月日が経ちました。
そして、本年9月2日をもって、多摩パブリック法律事務所を退所することとなりました。
今までご支援いただき、本当にありがとうございました。

4年間、思えば色々なことがありました。
それは、「あっという間」だったというには、思い悩むことも多くありました。
しかし、4年の月日を、とても長いものに感じていたわけでもありません。
4年間を「駆け抜けた」と表現するのがしっくりくるように感じます。現に、余裕なくよく走っていました。外でも事務所の中でさえも。靴のかかとはあっという間にすり減り、しょっちゅう、靴屋さんに修理をしていただきました。 走り続けた日々は最初から最後まで続き、恥ずかしながら、最終日ですら、娘の保育園のお迎えに行くために、事務所を走り出てきてしまいました。

そのため、多摩パブを退所するときが近づいてきても、寂しくはあっても、本当に多摩パブ以外の事務所で働くのだろうか!?という感じで、実感がわきませんでした。
しかし、新しい事務所に入ってしばらく経った今日この頃、多摩パブとの違いがわかってきて、寂しくも退所した実感がわきつつあります。まず感じた大きな違いは、多摩パブは裁判所からとても近い!ということです。

多摩パブにいた頃、裁判所へは、大抵の場合、自転車で行っていました。多摩パブに所属する弁護士はほとんど自転車で裁判所や拘置所等に行きます。当初2台だった多摩パブの自転車は今や6台に増えました。
そのため、事務所に立ち寄って、自転車をとってから裁判所に行けたので、ファイルなどの記録をあまり持ち歩かなくて済みました。

他方、今いる事務所は、私にとって、裁判所に行く通り道にないため、家に帰るときに、必ず、明日、明後日の予定を確認して、荷物をバッグに詰める作業が追加されました。
必然的に持ち歩く荷物は増えます。空き時間にちょっと事務所に立ち寄ることも難しいため、パソコンを持ち歩く必要性も出てきたりします。
そうすると、ここ最近愛用している斜め掛けバッグはパンパンです。当然、私の肩もパンパンになります。

これでは身体が持たぬ!ということで、小さい車のついた引っ張るタイプのバッグ(愛称「カラカラ」)を持つことにしました。これはとても便利です。電車に乗るとき等、手帳や財布の入っているバッグをカラカラの取手に引っ掛けることができるので、身体への負担は激減しました。さすが多くの弁護士が使用しているだけのことはあります。

しかし、カラカラにも難点があります。それは、カラカラを引っ張っていると、走りにくいということです。私にとっては致命的かもしれません。
そこで、荷物をなるべく負担なく運べる小回りの効くものは何かと考えました。
そして、それは、やはりリュックではないかという結論に至りました。

リュックを背負っている弁護士は、フットワークも軽く活動的なイメージで素敵だと思います。
とは言っても、私がリュックをかっこよく着こなせるか、というとまた別問題です。しかも、そもそもカラカラで運ぶほどの重い荷物を背負って走ること自体に無理があるのではないか等、様々な思いが交錯します。

多摩パブ退所記念に、リュックデビューするか否か、悩ましいところです

新たな発見

現在、子どもの人権という分野に深い関心を寄せている私ですが、実は、私、子どものことは苦手でした。
「子ども」と言っても年齢は一般的に0歳から19歳までと幅広いですが、乳児については、どう対応すればいいのか分からないし、何か気恥ずかしいという意味で苦手でした。
幼児とか小学校低学年の子どもについては、予測不可能な行動をとるので、苦手でした。
思春期に入った子たちについても、一部の「大人」を小馬鹿にしていた自分の経験からして(我ながら嫌なやつでした。)、近づき難い存在でした。

そんな「子ども」のことを苦手な私でしたが、自分が子どもを持つという実体験を経てから、「子ども」に対する姿勢が変わってきました。
今でも子どもを苦手と思っていた理由を克服できたわけでは全くないのですが、その苦手意識以上に、子どもに対する「好奇心」が湧いてきました。

なぜそのような行動をとるのだろう?
なぜそのような心境に至るのだろう?
という興味、
小さな子どもは何を考えているのだろう?
小さな子ども同士ではどのような会話をするのだろう?
などの興味は尽きません。

例えば、当事務所の某イクメン弁護士のお子さん(4歳)を預かり、我が子(4歳)と遊んでもらったときのことです。
かつてフェラーリを乗り回していた車大好きの某イクメン弁護士のお子さんと「カーズ」(自動車を擬人化したディズニーアニメ)を見ていると、某イクメン弁護士のお子さんは、「ボウソウシャが来るよ。」と興奮気味に言いました。「ボウソウシャ(暴走車)」という響に「怖いね。」と応える私に、そのキラキラと光る「ボウソウシャ」のことを、彼は「きれいだねー。」と表現しました。
幼いながら興味のあることを実に素直に偏見なく表現することに、私は、思わず、「なるほどねぇ。」とつぶやきました。
この私のつぶやきを聞き逃さなかった我が娘は、「『なるほどねぇ』じゃないでしょ!」と、母が自分以外の子に興味津々な態度をとることに不快感のようなものを示しました。
4歳ながら、それぞれの立場からそれぞれの思いがあるのだなぁとつくづく興味深い瞬間でした。

 得たいが知れないがために苦手だった子どもが、それぞれに意思を持った「小さな人」なのだということに気付いたことは私の中では大きな発見でした。

私の中の特別なコーヒー ~私の中の特別なモノ第3弾~

よく「コーヒー派か?紅茶派か?」という質問というかカテゴライズがあると思いますが、私は断然コーヒー派です。
ある人が紅茶派は繊細できめ細やかな人が多く、コーヒー派はざっくりと大雑把な人が多いという分析をしていましたが、残念ながら、この観点からも私は間違いなくコーヒー派です。


このように(?)私は、コーヒーをこよなく愛しています。
普段は1杯19円のドリップコーヒーでささやかなコーヒーライフを楽しんでいますが、ここぞ!という特別なときに飲むコーヒーがあります。
それはスターバックスコーヒー(通称「スタバ」)のコーヒーです。
特別なときというのは、例えば、何かがうまくいったときの自分へのご褒美であったり、何かに行き詰まったときの起爆剤であったりします。
何と言ってもスタバのコーヒーはガツンと濃いので(しかも、お高いので)、特別なときにぴったりです。


それに私にはスタバに対して特別な思い入れというか憧れがあります。
それは初めて憧れの外国に行った15歳のときのことでした。当時、英会話の好きだった私はコツコツとお小遣いを貯め、英語圏の国に行くことを目論んでいました。そして、高校生になったときに、満を持してアメリカのシアトルよりもう少し北の町で1ヶ月だけホームステイをすることになりました。そんな中、シアトルの街にお出かけをする機会に恵まれました。
シアトルの街を散策していると、スタバのシンボルのマーメイドの看板が私の視界に飛び込んできました。
私はそのおしゃれで素敵な雰囲気にうっとりとしました。友人からそれはスターバックスコーヒーというカフェだということを聞きました。
それから3年の時が経ち、私はまたあのスタバのマーメイドの看板を、これから通うという大学の通りに見つけました。しかも、そこには、「Coming Soon」という文字がありました。

ガーン!
あの憧れのスタバがもうすぐここにやってくる!!

この出来事は、第一志望ではなかったことから気乗りしない大学生活をスタートさせた私を少し前向きにしてくれました。


最近は至るところでスタバのあの看板を目にするようになりました。
今、私が猛烈に後悔していることは、スタバでバイトをしなかった、ということです。
憧れのあのお店でコーヒーの香りに包まれながら、「こんにちはー。」って言いたかったなぁ。

天才バカボンについて

 マンガの「天才バカボン」をご存知でしょうか?。
 あの有名な赤塚不二夫さんの代表作です。

 という私も決して詳しくはなく、むしろ、なんでこんなにばかばかしいものがおもしろいのか、と幼い頃には思っていました。
 ところが、ここ最近、その印象が大きく変わりました。夕方のマイナーなチャンネルで「天才バカボン」のアニメの再放送をしていたものを、ふと見る機会がありました。私はテレビをつけていると、ついつい集中してしまい、ついには他のことそっちのけで真剣に見入ってしまい、よく家族に呆れられるのですが、そのときも子どもがつけた「天才バカボン」を私のほうが見入ってしまいました。

 そのストーリーは、何ともジーンとくるものでした。
両親がけんかをしているところを見たバカボンの友達が、遊びに来ていたバカボンの手前、「喧嘩をするほど仲がいいんだ。おまえんちの親は喧嘩をしないなんて仲が悪いんだ。」というようなことを言いました。バカボンは、パパとママがとても仲が良く喧嘩をしないことを真剣に悩みます。それを見たママが、パパに、バカボンのために喧嘩をする真似をしようと提案しますが、パパは「そんなことはできない、ママのことを怒鳴るなんてどうしてもできないのだ」と言い張ります。それでも、ママはパパを怒らせようと仕向けますが、パパはそれに応じません。ところが、だんだんパパもママもおかしくなっていって、本当にパパとママが喧嘩をしかけてしまいます。そうしたところで、バカボンが、そんなのは悲しいから止めて!と止めに入ります。やっぱり「喧嘩はよくないのだ。」ということになり、バカボンも納得しました。
 更に、これだけでは終わらず、バカボンの手前、強がって友人は、小学校の作文で、やっぱり両親の喧嘩は子どもが傷つくから止めてほしいというような気持ちを素直に書き、匿名で表彰されました。バカボンはそれが例の友人であることを悟り、二人は目を合わせて微笑み合いました。
 というお話でした。

 親の喧嘩は子どもを傷つけてしまうという割と社会派なストーリーになっていたことと、パパはあの時代にとても男女平等な思想を持っていたのだということに驚きました。単にばかなことを言っているだけではなかったのですね。今になって良さに気付きました。

私の中の特別なパン ~私の中の特別なモノ第2弾~

私は、なぜか受験時代の終盤のいよいよ煮詰まってきたというときに、ポンパドール(通称「ポンパ」)というパン屋さんのパリジャンというフランスパンばかり食べていました。
それが主食というよりも、それが食事の中心であり、デザートでもありました(食後にはあまい蜂蜜をつけて食べていました)。

パリジャンというのは、フランス語で「パリっこ」という意味なのだそうですが、バケットよりは大きめのいわゆるフランスパンのことです。

なぜポンパドールというパン屋さんなのかというと(私は決してポンパドールの回し物ではないのですが)、
学生時代にパンも自ら焼いて出すフレンチレストランでバイトをしていたときに、パンが足りなくなると、わざわざポンパに買いに行って、それを補充してお客様に出していたとことがあり、ポンパのフランスパンはプロも認めるおいしいフランスパンということが頭にインプットされていたというのもあるのですが、全くの素人の私でも本当においしいと思ったからです。

私がポンパのパリジャンにハマっていた頃は、これがないと不安で仕方ないというくらいはまっており(いわば中毒です。)、お正月休みにポンパがお休みになるのに備えて、たくさん買い込んでは、冷凍し、みんながおせちを食べる中、一人でポンパのパリジャンをもくもくと食べていました。

受験が一段落し、ポンパでパリジャンを買い込む余裕が時間的にも金銭的にもなくなってからは自然と食べなくなりましたが、今でも、「今日はフランスパン!」というときには、ポンパのフランスパンを買ってきます。そして、改めて食してみると、やっぱりおいしいのです。どうおいしいのかというと、なんだかほのぼのと幸せな気持ちになるのです。殺伐とした受験時代に、バカみたいに毎日ひたすらポンパのパリジャンを食べて、幸せの瞬間を噛みしめていたのだな、と改めて実感しました。

ささやかな幸せって大切だなと思います。
プロフィール

多摩パブリック法律事務所

Author:多摩パブリック法律事務所
多摩パブリック法律事務所は、多摩地域の法的ニーズに積極的に応えるため、東京弁護士会の全面的バックアップにより設立された公設事務所です!

リンク
最新記事
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR
月別アーカイブ