何がかっこいいのかな

先日、ニューヨークに行ってきました。
世界の最先端をいく地区ですので、かっこいい人、きれいな人など多く歩いています。

ただ、日本と異なり、国籍も人種も文化も異なる人々が集まっています。
ですので、アラブ系、アフリカ系、中華系などのファッションになると、かっこいいのかどうなのか分かりません。
(当事者は、分かっていると思います。)

これだけ違っていると、他の人がどんな風であっても、いいなあと感じます。
だから、他民族がいる地域ですと、いろんな観点を受け入れて、自由な発想も出てくるのかなと感じました。
海外にいくと寛容な気持ちになるので好きです。

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趣味と、想像する努力について

ここ2年くらい、英会話を習っています。
週1回1時間足らずのペースでは大してうまくなるはずもなく、予習ゼロで臨んで先生に呆れられることもあるのですが、下手の横好き的に続けています。
仕事で英語を使うことは滅多にないので、完全に趣味です。
たどたどしいながらも英語で話したり、テキストを読んだりしていると、脳味噌の普段とは違う部分を使っているようで、適度な気分転換になります。

もともと語学の勉強は結構好きでして、大学の時は第2外国語のフランス語のほか、第3外国語を選択すれば数学の難しいのをやらなくてよいというので、中国語を履修していました。
違う言語にふれると、なんだかその文化圏の人達の気持ち、考え方に少し近づけたような気がして楽しいです。

仕事で、ハングルやタイ語やタガログ語しか話せません、というご相談者やご依頼者と出会うと、自分もその言語が話せたらもっと心が通じるのになぁ、勉強しとけばよかったなぁともどかしい気持ちになります。
大抵の場合、通訳さんや日本語のできるお友達と一緒に来て下さるので大丈夫ではあるのですが。

語学に限らず、自分なりの趣味をいくつか持っておくのは、弁護士という仕事にとってもいいことのように思います。
料理も、スポーツも、音楽も、読書も、その活動を通して見える世界があって、そうして色々な角度から見える景色を知っておくことは、他人の気持ちを想像する時に役に立つような気がするからです。

他人の気持ちが「分かる」というのは、どうもおこがましくて、大抵の場合は勘違いで、そう簡単にできることではないように思います。
むしろ、たやすく「あなたの気持ちは分かります」などと言う人のことは信用できないとさえ思います。
が、私達が日々うまく暮らしていくためには、そして特に弁護士の仕事をするにあたっては、相手の気持ちを想像しようとする努力が欠かせないように思うのです。
依頼者の気持ちを想像する努力があって初めて、たとえば離婚したことはなくても離婚事件を担当し、子どもがいなくても子どもの事件を適切に担当することができるのだと思います。
それは、敵対している相手方についてであってもそうで、いかに理不尽なことを言われても、この人はどういう理由で、どういう背景があってこういう主張をしているのだろうか、と考え、相手の立場に身を置いて想像してみることが大事なのではないかと思っています。

刑事弁護について、悪い人のことをどうして守る気になるのか、と聞かれることがあります。
しかし、やったことが法的に許されるかとは別に、その人にはその人なりの、その行為に出た理由があり、背景があるのです。
それは、性格のゆがみだったり、考え方の癖のようなものだったりすることもあり、そうなったことがその人だけのせいとは言えない場合も多いです。
国家権力がその人を非難し、処罰に向けて進んでいこうとするときに、違う角度から事件に光を当てる役回りは、間違いなく必要だと思っています。

昔弁護士としての就職活動をしていたときに、大学時代の友人に推薦文を書いてもらったことがあったのですが、「多様性を受け入れる素地がある」というようなことを書いてもらって、わりと嬉しかったのを覚えています。
皆が同じ方向を向いて、同じ景色しか見ていない社会というのは、どうにも気色が悪いです。
金子みすずではないですが、「みんなちがって」いることを前提に、想像する努力を忘れないようにしたいと思う今日この頃でした。

プラスとマイナス

私が、大学生のときに、ゼミの教授に言われて、印象に残ったことばがあります。

教授と話をしていたときに、弁護士になりたいと伝えると、弁護士の仕事は、マイナスな人をフラットにできてもプラスにはできない、それでもいいならと言われました。

たしかに、問題が解決しても、特にプラスになるわけではないだろうなあと思いました。でも、それで十分だと感じたので弁護士になりました。

その後、仕事をしていくなかで感じるのは、問題が解決するとフラットな状態というよりも、表情も服装も変わってしまって、別人にように元気になる人もいるということです。

どのような人生を歩んでいくかは、その人次第です。ただ、抱えている問題が解決されることは、大学生のときに感じていたことよりも大きな意味がありました。

自分自身を振り返ってみても、悩みがあるときは、積極的に行動できないですし、よい発想もわきません。

一方で、弁護士は、人生をプラスするような活動に貢献できるとも感じています。

やってみたいことをするときには、うまくいかなったらどうしようと感じます。うまくいかなったら困ると思って、挑戦をやめることもあります。

でも、うまくいかなかった場合にはこの可能性はあるけれど、それ以上は悪くならないと知っておけば、安心できますし、必要ない心配はしなくてすみます。専門外のことは、必要以上に不安になります。聞いて解決できることは聞いてしまえばいいと思います。

悩まなくていいものは、悩まず、もっと、プラスに、クリエイティブになるようなことに時間をかけていけば、人生も幸せになるだろうなと感じます。楽しいときにも弁護士が活躍できる場が多くなるといいなと考えています。

追伸 小さい頃の文集を見ていたら、きらいなことは、「なやむこと」と書いてありました。大人になって、悩みを扱う仕事についているのは、人生がどこにいくかは分からなくて、良いなと思いました。

多摩の地名

久しぶりのブログです、笠井です。
そこそこ元気にやっています。

私が、東京とはそこそこ離れた福島県会津地方の出身である、ということは、
しつこいくらい毎回書かせていただいています。
事務所入所に伴って多摩地域にやってきたものですから、
地元の方にとっては当たり前の地名が全く読めなかったりしました。

例えば「福生」。
「ふっさ」であることは、今では当たり前なのですが、読めませんでした。すみません。
そして「小作」。
「おざく」ですね。大学の同級生に小作が最寄り駅だった人がいて、読み方をすごくアピールしていたな…
あと「河辺」。
「かべ」と読むとは知りませんでした。

と、書きながら、青梅線沿線ばかりだなあ、確かに最近乗っているなあ…(あ、これで「おうめ」っていうのも当たり前に見えて当たり前ではないですね。)と、ここのところの生活に思いをはせてみました。
弁護士の仕事、外に出ていることが多いのです。
ちなみに、仕事以外でよく行く場所がある京王線の「飛田給」。
「とびたきゅう」ですが、こちらも難易度が高いですね。

そうそう、私の出身の会津地方にも、読み方が難しい地名がありました。
「会津坂下町」と書いてなんと読むでしょう?
答えは次にブログ当番が回ってきたときに!といいたいところですが、
しばらく先になりそうなので答えをお知らせすると
「あいづばんげまち」と読みます。
わかった方、いらっしゃいますか??

退所のご挨拶

 本年3月末をもって退所いたしました弁護士の足立です。

 平成20年9月に入所をしまして、約8年半を多摩パブリックで過ごさせていただきました。右も左も分からない新人として入所し、ときどき息切れしながらも、周りの方々のご支援のもと、何とか走りきることができました。

 本年4月からは、戦友であった全東周弁護士とこれまで親交を深めてきた木村裕史弁護士という素晴らしいパートナーを得て、国分寺において新たなスタートを切りました。新事務所開始早々で、まだまだ落ち着いていませんが、少し息を整えてから、これまで以上に、多摩地域の方々を軸とした法的サービスに力を注ぎたいと思います。
プロフィール

多摩パブリック法律事務所

Author:多摩パブリック法律事務所
多摩パブリック法律事務所は、多摩地域の法的ニーズに積極的に応えるため、東京弁護士会の全面的バックアップにより設立された公設事務所です!

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